シンギュラリティは怖くない:ちょっと落ちついて人工知能について考えよう
- 作者: 中西崇文
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2017/02/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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遅かれ早かれ、コンピューターの知能が人間のそれを越える日はやって来ないと思う人はもはや居ないだろうと思います。
シンギュラリティは産業革命となるといわれてもいるが、そのとき奪われない仕事になろう、などと言われている。
minnkane.com
こういった記事にあげられているAIに奪われる仕事というのが決まってブルーカラーワーカー的なものだ。いわゆる現場労働や肉体労働である。
しかし、今の状況から考えるとむしろAIが得意とするのはホワイトカラーワーカーではないかと思う。
人間には手足というハードウェアが付いていることが今のところ圧倒的優位点だと思うからです。
ソフトウェアであるディープラーニングによるAIの頭脳は、それこそラズベリーパイのような安価なコンピューターによっても構成できますが、手足を持たせようとするとその難易度、コストは電子工作erには思い当たる節があるのでは無いでしょうか?
この本にも、すでに囲碁、ガン細胞の診断、小説の創作などが実用化されていると書かれていますが、すべて非肉体的労働、つまりホワイトカラーな仕事です。
先の産業革命のときは機械化によって労働者は職を失うのでは?とも言われたが、実際には職は変わったかもしれないが失業率が上がったという記録は無いらしい。人間の仕事が生産から管理へ、さらには創造へと変化していったからです。
結局、人間には機械にさせる仕事を最適化するという仕事が残ってしまいました。これは "考える" という仕事です。そして人間はこの "考える" ということに時間をさかなければならなくなったのです。
この他には自動運転の先行例としての飛行機のオートパイロットのなかでの、自動操縦とパイロットの不整合による事故例の説明から、自動運転はそのオートパイロットとドライバーの関係性が重要である、という話が書かれていました。
まとめ
シンギュラリティが来ても人間の仕事は無くならない、というのがこの本の結論です。それどころか人間の仕事はより高度なものになってしまいそうです。
それによって、さらに文明(文化)は高度化しより技術開発が進むことは予測できます。
しかし、人が働かなくても生きていけるようにはなりそうもありませんね。
アルファ碁は人間の曖昧な感覚である、碁の局面の強弱を理解することでつよくなったが、これまでの定石を覆すような手を打ってきた。これはつまり、碁の歴史において人間が発見できなかった定石を発見したということか。
— プログラミング素人 (@s51517765) 2018年10月9日
ディープラーニングが人間の感覚を理解したというより、感覚の先にある定石を計算によって発見したということの方が凄いことではないだろうか?
— プログラミング素人 (@s51517765) 2018年10月9日